PrismPlaneメンバーインタビュー Vol.3WEBライター赤堀堂馬 1987年和歌山生まれ、現在は大阪在住。記事作成、オーダーメイド小説作成、プロット作成、製本データ変換、イラスト作成、オーダーアクセサリー作成など、文章に関わる仕事を中心に、多岐に渡り依頼を請け負っている。ポメラニアンが好き。闘病生活など紆余曲折を経てWEBライターに──── 昔からライターや小説家になりたかったのですか。子どものころは文章を書くのが苦手で、国語の成績もよくありませんでした。しかし、小学3年生のころに深沢美潮さんの「フォーチュン・クエスト」を読んだとき、人を感動させるような、ドキドキわくわくさせるような小説を自分も書きたいと思ったのが最初のきっかけです。ただ、プロになるなんて絶対自分には無理だと思っていました。そのほかに、キャラクター設定をしてお人形遊びをよくやっていましたね。今でもプロット作りが好きなのは、このころから続いているのかもしれません。その後、高校1年のときにパソコン検定がありました。私はタイピングが苦手だったのですが、友人から「小説を書くとタイピングの練習になるよ」と教えてもらい、お互いに書いた小説をフロッピーディスクに入れて交換していました。これが小説を書くようになったきっかけだったんですよね、彼女がいなかったら小説を書いていなかったかもしれないです。──── 大学以降、病気などで大変な経験をされていますね。四天王寺国際仏教大学(現・四天王寺大学)の社会学部に進学し、教員を目指していました。大学の図書館のなかに大きなパソコンルームがあったので、そこに入り浸るようになり、インターネット環境に触れることでいろんな人の二次創作作品を数多く読むようになり、自分でも毎日小説を書いていました。あの頃が一番楽しかったです。しかし、大学2年のころ、ナルコレプシーを発症しました。自分でも気付かない間に寝てしまうなど今まで通りに生活できなくなり、教員は無理だと諦め、SEになろうと就職活動をしていました。病気や就職活動のストレスで激太りするなど、精神的にも良くない状態が続き、親にも就職は難しいのではないかと促され、結局就職は諦めフリーターになりました。 さらに24歳のころ、アルバイト先でのストレスや自宅で飼っていた犬が亡くなったことが重なり、統合失調症を発症してしまったんです。──── 30歳のときに一念発起したんですね。はい。統合失調症を発症して入退院を繰り返し、3度目の退院をしたのが30歳のころでした。そのときに「このままではいけない」と思い立ち、障がい者が軽作業などの就労訓練ができる福祉サービスの「就労継続支援B型」を紹介してもらいました。それと同時に、自分が過去に元気だったときは何をしていただろうと考え、思いついたのが「部活」でした。振り返ると小学生の頃から団体で活動をしているときが楽しかったなと思い、サークル活動をやろうということに。大学生のころに小説の即売会に出展しようと思っていたのですが実現していなかったので、mixiでサークル仲間を集め、文学フリマという即売会に出展しました。 それを機に、自分でも文章に対する自信が付き、オタマート、ココナラ、SKIMAの3つのサイトでオリジナル小説執筆サービスを開始しました。これがWEBライターとしての活動開始だったんです。月1000円から17万円に引用:ココナラのプロフィールページ(https://coconala.com/users/675485)──── 依頼状況はいかがでしたか。一番初めはオタマートで、二次制作物を製本化するサービスを文字制限なし1000円でやっていました。需要がかなりあり順調に依頼があったのですが、制作が追いつかなくなり、オタマートでの活動は辞めることにしました。SKIMAではほぼ依頼がなかったので、ココナラがメインになっていきました。ココナラはオリジナル作品の制作依頼がほとんどでしたね。ココナラも最初、文字制限なし1000円でしたが文字単価の形に変更し、一文字0.5円からスタートさせました。今現在は、一文字2円でです。また最近は、ライターステーションというサイトにも登録し、WEBライターとしての実績も130件ぐらいになりました。──── 依頼を伸ばすことができたきっかけは。ココナラでサービスを開始した当初は月に1度、依頼がある程度でした。しばらく活動を続けていくなかで、常連のお客様が付くようになりました。その方々が立て続けに依頼・評価してくださることで、ココナラ内のランクが上がりました。ココナラにはランキングがあり、ランクが上がることでランキング上位に表示され、たくさんの人に見てもらうことができます。私もランキング上位に入ることがあり、それを見た方が依頼してくれるようになりました。さらに2020年12月、「ココナラ王子」と呼ばれる一条響さんにココナラのプロフィールページを添削してもらいました。すると翌月、新規の依頼が5件入り、当時一文字0.8円でしたが、月の売上が初めて10万円を超えました。そこで「この人は本物だ」と思い、サロンに入るなど、さらに師事を仰ぐようになりました。すると安定的に10万円を超えてくるようになりました。現在の最高額では月に17万円まで受注することができました。──── 具体的に何を変えたのですか。商品ページに関して、まず一条さんに言われたのが「専門用語を使わないこと」でした。例えば「プロット」と書かれていても、依頼を出す側からすると何のことかわからないと。なので、素人の方が読んでもわかりやすい、素直に受け入れられる文章に変えました。また、「コピペ感があるのはダメ」「商品ページを読んだ人にメリットが伝わるようにしなければならない」「商品ページタイトルとサブタイトルの二行が命」というアドバイスもいただいたので、そこにも注意しました。さらにサムネイル画像にはオリジナル感を出し、一覧になったときのサイズなどにも注意して作成し直しました。 そういった点を修正することで、依頼が増えるようになりました。また、「できることは商品にした方がいい」という助言もいただいたので、イラストやアイコンなども受注するようになりました。引用:ココナラの商品一覧(https://coconala.com/users/675485)──── 依頼を受ける際に気を付けていることは。事前打ち合わせの際に「これだけは絶対に入れてほしいシチュエーションやキーワード」「これだけは入れないでほしいシチュエーションやキーワード」の2点は必ず聞くようにしています。この2点だけ外さなければ、大抵の場合は大丈夫です。また、お客様に言われたことだけではなく、「このお客様ならこういうのが好きなんじゃないか」というように、さらに手を加えるようにしています。──── クリエイターを目指す人、クリエイターとして成長したい人に一言。とにかく自分の「好き」を諦めずに突き詰めることが大事だと思います。私の場合は、統合失調症で小説も書けない、マンガも読めない、テレビすら観たくないという状態になりました。そんな状態になっても、結局は好きな小説を書くことに戻ってきました。なので、どんなに辛い状況でもいつかは立ち直ることができ、辛くなかったころと全く同じ状況に戻ることはできないかもしれないけれど、近付くことはできるので、諦めずに自分の「好き」を突き詰めて欲しいなと思います。■関連リンク▶ココナラ作家に必要な要素とは?ココナラ作家はがんばればだれでもなれる!▶急成長し続けるココナラとは?私がココナラ作家になったきっかけを紹介します▶赤堀堂馬のココナラページへ(ご依頼お待ちしてます)(聞き手:CL編集部)前回:【福本 陽子】問い合わせ急増!WEBデザイナーが実践したInstagramマーケティング 次回:【小寺 利典】木を活かし、木に触れてもらうことで、木を知ってもらいたい